(天照大神) 此に由りて、発慍(いか)りまして、乃ち天石窟(あまのいはや)に入りまして、磐戸(いはと)を閉(さ)して幽(こも)り居(ま)しぬ。故(かれ)、六合(くに)の内常闇にして、昼夜の相(あひ)代(かはるわき)も知らず。時に、八十万神(やそよろづのかみたち)、天安河辺(あまのやすのかはら)に会(つど)ひて、其の祈るべき方(さま)を計(はから)ふ。故、思兼神(おもひかねのかみ)、深く謀り遠く慮(たばか)りて、遂に常世の長鳴鳥(ながなきどり)を聚めて、互に長鳴せしむ。亦手力雄神(たちからをのかみ)を以て、磐戸の側(とわき)に立(かくした)てて、中臣連(なかとみのむらじ)の遠祖(とほつおや)天児屋命(あまのこやねのみこと)、忌部(いみべ)の遠祖太玉命(ふとたまのみこと)、天香山(あまのかぐやま)の五百箇(いほつ)の真坂樹(まさかき)を掘(ねこじにこ)じて、上枝(かみつえ)には八坂瓊(やさかに)の五百箇の御統(みすまる)を懸(とりか)け、中枝(なかつえ)には八咫鏡(やたのかがみ)を懸け、下枝(しづえ)には青和幣(あをにきて)、白和幣(しろにきて)を懸(とりし)でて、相与に致其祈祷(のみいのりまう)す。又猨女君(さるめのきみ)の遠祖天鈿女命(あまのうづめのみこと)、則ち手に茅纏(ちまき)の矟(ほこ)を持ち、天石窟戸の前に立たして、巧に作俳優(わざをき)す。亦天香山の真坂樹を以て鬘(かづら)にし、蘿(ひかげ)を以て手繦(たすき)にして、火処(ほところ)焼き、覆槽(うけ)置(ふ)せ、顕神明之憑談(かむがかり)す。是の時に、天照大神、聞(きこ)しめして曰(おもほ)さく、「吾、比(このごろ)石窟に閉(こも)り居り。謂(おも)ふに、当に豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)は、必ず爲長夜(とこやみゆ)くらむ。云何(いかに)ぞ天鈿女命如此(かく)噱楽(ゑら)くや」とおもほして、乃ち御手を以て、細(ほそめ)に磐戸を開けて■(みそなは)す。時に手力雄神、則ち天照大神の手を奉承(たまは)りて、引き奉出(いだしまつ)る。是に、中臣神・忌部神、則ち端出之縄(しりくめなは)界(ひきわた)す。乃ち請(まう)して曰(まう)さく、「復(また)な還幸(かへりい)りましそ」とまうす。 |